酒を飲んだら文章が書きたくなるのは自己顕示欲なのかそれとも

ここ数ヶ月、休肝日がほとんどない。
健康診断の前日も含め、時間をアルコールで埋める事に抵抗がまるでなくなってきている。



ところで、家出の話をする。



初めての家出は小学校2年生だか3年生だったか覚えてないが、とにかく齢一桁の頃だった。


当時の私が判断するに、私は一人で生きていくには充分な頃合だった。

そう考えた事自体が、私がフワッフワのひよこちゃんである事の証明以外の何物でもなかったが、
なにしろ私はもう家を出て1人で生きていけると判断した。


門限(当時の門限は、"車がライトつけて走ってたら帰ってきなさい"だった)を守る必要も、夏祭りや友達のお泊まり会にいけないという決まりも、21時を過ぎたら弟と共有の狭い部屋で眠る理由も、ないと信じていた。


ちなみにその「弟と共有の狭い部屋」に関してはプレイルームと寝室の2つあったし、そのうちの寝室だけで、私が初めて一人暮らしをしたワンルーム丸ごとよりも面積を持っていた。



そんな恵まれた暮らしを捨てて私は、スポーツバッグに全財産と着替えとお気に入りの小説と、最新号のりぼんと、可愛がっていたサボテン4鉢のうち1番小さな「苺ちゃん」を入れて近所の公園に逃げ出した。

スポーツバッグは「CHOOP」の水色の、めっちゃ横長のものだったと記憶している。分かるかな、リスのロゴがついてるやつ。f:id:yuimanksp:20210428164438j:plain




近所の公園と言っても、私の世界はその地区の1丁目から7丁目まででほとんど完結していたので、その公園は紛れもなく"世界の端"だった。



しかし当たり前ではあるが、夜には親に見つかった。その公園には他のホームレスも居たから、親は気が気でなかった事と思う。

付け加えるとそのホームレスも私からすれば道端で綺麗な石を500円で売ったり牛乳パックで船を作ったりする事業者であったので、大人としてはそれで充分であった。



私の所持金はコンビニで豪遊できるほどの大金であったから、その夜はお菓子を食べて寝るつもりだったが、私の予想よりも母親が公園に駆け込んでくる方が早かった。腕時計は持っていなかったが、たぶん、夏が近い時期の19時頃だった。車はとっくにライトを灯して走っていた。


その時私は、枝で公園の土に穴を掘っていた。
「苺ちゃん」を、公園の土で飼育するつもりだったからだ。
今思い出すと、一人で生きていけるとか思っている割には公園に永住するつもりだったという変に夢見がちなのかリアルなのか分からん思考が子供にはあるなと思う。



どんなふうに怒られたかは忘れたが、それ以降私の門限は「その日遊んだ中で門限がいちばん遅い子と同じ」になった。





小学校5年生の時には同級生と家出した。
髪を染めて素性が割れないようにして、ド田舎の知らない老夫婦に拾われ、農作業しながら暮らしていくという夢を見て、私と同級生は電車に乗った。
当日の夜に私の親が見つけた私は、何故か派手な髪色になっていて、実家の庭の犬小屋で眠っていた。
(家での道中で同級生と喧嘩したけど、家には帰れず犬小屋にお邪魔した)

未だに実家に帰ると、「あの時、犬小屋を奪われた犬がかなり困った顔をしていた」というのと、「散々色んな所を探し回ったのに家の庭にいて脱力した」いうエピソードを散々こすられている。
どうだろう、かなり平和な家庭という感じがしません?



中学生の時は3回とも、単純に反抗期の責務として家出した。
なにも面白くないので端折って書くが、とりあえず地元の先輩のチャリをパクって自分の名前をポスカで書いたせいで秒で特定されてボコボコにされたりした。



高校生の時は、毎年夏休みになるとしばらく家出していたので、親もかなり慣れていた。
突発的ホームステイである。

毎年その時の彼氏の家に何日にも渡ってお邪魔していたので、今思うと彼らのご両親たちには大変申し訳ない事をした。



今更だがこのブログ記事にはオチがない。
家出というテーマに沿って覚えていることのうちいくつかをポロリとこぼしただけに過ぎない。




しかし書きながらひとつ気がついたことがある。
実家を出てからまだ1度も私は家出をしていない(多分)。


それはおそらく、帰る家庭があって初めて、家出ができるということなんだと思う。


そしてそろそろ私には帰る家庭がもうひとつ出来る。
山中とかいうクソだせえ苗字にもさよならだ。

願わくば家出なんてしたくはないけれど、
新しい方の家庭から家出することがあれば、
その時はあの日「苺ちゃん」を抱えて出た方の家庭にお邪魔して、主なき犬小屋に篭ろうと思っている。