木の交わりと花と鼻

花粉症というのは、物言わぬ草木の人間への復讐である。


人間は、森林を伐採する。
チェーンソーだかノコギリだか知らないが、幾多の月日をかけて育った年輪を横断するその金属で、木の命を奪う。

かと思えば、果実や野菜を育てる。
品種改良を重ね原型を留めていないその実や花は、古来の原種たちから見れば異形そのもの、まるでぶくぶくと太らされた化け物のようである。


それもこれも、全て人間という生物の傲慢な私欲を満たすというおぞましい目的のためだ。


植物たちは、人間を許さない事にした。


中でも、ティッシュの原料、パルプにされるためだけに木片にされるブナ、ユーカリの嘆きようは酷いものであった。

切り刻まれペラペラの紙にされた挙句、鼻水やケツの汚れを吸わされゴミになり燃やされる。


人間がその数を増やすためのセックスですら、ティッシュは無慈悲に消費された。


人間の子種を拭くために、同胞の命が奪われている。



若葉の芽吹いたその頃から、未来に待っているのは人間の「汚れ」だけ。こんな運命が許されてなるものかと、立ち上がるのは今だと、復讐の炎を燃やした。



しかし、木は立ち上がれない。

人間の様に歩き回ることも、鳥のように飛ぶことも、その悲しみに涙を流すことすらも、彼らには叶わなかった。


しかしその想いは、彼らのうち一部の身体に「毒」を持たせた。



目には目を、歯には歯を。毒には毒を。

セックスには、セックスを。





スギやヒノキは、猛った。


人間の目に見えるほどの花粉をその身から振り撒いた。

人間のセックスだとしたら、どんなに激しいものに例えられるだろうか。

人間への憎しみをその種子に宿すための「木々のセックス」は、空気の色が変わってしまうほどの猛々しさを見せた。




その時、一人の人間が涙を流した。


木々のセックスに感涙したのではない。スギやヒノキがその身に宿した憎しみが毒となり、花粉に移り、人間の身体に作用したのだ。
ブタクサは微笑んだ。シラカバもヨモギも、つられるように笑いだした。草木は歓びに葉を揺らし、花や葉は泣き笑うように朝露を零した。



そうして、セックスの度に植物たちの命を消費する人間たちは、植物たちのセックスによってその健康を害す様になったのである。


ーー花粉症の始まりである。




ということで何故か今日、目が痒いし鼻水が止まらない。この時期に花粉症とかある?ないよね?たすけてー。